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HKT48『しなもん』こと下野由貴ちゃん&『ぴなの』こと後藤陽菜乃ちゃん激推しブログ(のはず)。劇場公演のレポートなどを中心にアイドルヲタク全開で綴っていきます♪

アイドル”伊藤来笑”の美学 2016/2/29 伊藤来笑 卒業

らいらいらが笑顔で劇場を去っていった。
残念ながら劇場にはいけず、卒業公演は後半のみDMMの生配信で見ていた。
 
最後の挨拶がらいらの活動の全てを言い表していたと思う。
「HKTの一員になりたいなと思って、夢をかなえることが出来た」
「悔しいこととか悲しいこともいっぱいあった」
「HKTになれて本当に良かった」
この言葉に、推しでもないヲタが外野から何かを付け加えることができるだろうか。
とも思ったけれど、やっぱり語りたいかなと思って。
あえて、卒業してしばらくたったこの時期に書かせてもらおうかなと。
 
研究生としてデビューしたPARTY公演でのらいら。
驚くほど印象が残っていない。申し訳ないけれど。
AKBグループ唯一(当時)の愛媛県出身者、怪我でしばらく休んでいたこと、くらいしか思い出せない。
嫌いとか、どこか悪いところが、とか言うわけではないのだけど。
パジャマドライブ公演。そしてKIVに昇格してのシアターの女神公演。
劇場では数多く見ているはずなんだけど、居て当然のメンバーとしての認識だった。
 
メディア露出はほとんど無く、あるY、百貨店、おでかけ、ごぼてん、ほかみな、そんな番組でフューチャーされたことも無かったはず。
そのあたりのことが、彼女いわくの、悔しく悲しかった思い出に繋がるんだろう。
愛媛から福岡に出てきてまでアイドル活動をするには、憧れだけではない相応の覚悟もあったはずだから。
 
らいらをもっと前に。
手段はいくつもあった気がする。
愛媛県出身をMCの1ネタとして話すことはあっても、宮崎と宮崎コンビのように売りにすることは無かった。
絡もうと思えば、地方組的な切り口ででも、もっと出せてたいけたと思うのだけれど。
フレンドリーで人見知りしないというらいらは、AKBグループ内のビッグネームとも交流があったらしい。
らしいとしか書けないのは、ことさらそのつながりをアピールしなかったからにほかならない。
私が知らないだけで、モバメとかぐぐたすでは書いてたのだろうか?話題にならなかっただけだろうか?
グループ内のメンバーでしか知り得ないエピソード、いくらでも話題をふくらませることが出来たはずなのに。
(指原支配人とハロプロのコンサート一緒に行ったとか、その他いろいろありそうなんだけど)
 
そんなことを自分なりに整理して出た結論は、らいらは正統派たることを欲していたのではないかと。
アイドルとは関係ない話や、他のメンバーのネタで話題を取ることを、自分の中で良しとはしていなかったのではないだろうか。
だとするとアイドルとしてどこに活路を見出そうとしていたのか。
パジャマドライブ公演のユニット担当からそれが読み取れるような気はする。
らいらはパジャマドライブ公演のユニットを”鏡の中ジャンヌ・ダルク”しか担当していない。
ジャンヌの中では2ポジをこなしたけれど、他のユニットはやっていない。
パジャドラに100回以上出演しているメンバーの中で唯一だ。
ちなみにパジャドラ90回出演のおかぱんも、ユニットはジャンヌだけだったりするのは偶然の一致だろうか?
100回以上出演するようなメンバーなら、自ら希望すれば、いくらでも他のポジを覚えて出演することは出来たはずだ。
女神公演では全ユニットを制覇しているらいらに対して、舞台監督が他のユニットをやることを止めることも考えにくいし。
自らそう望んだ、そう考えるのが自然だ。
一つは、かわいい系ではなくかっこいい系で生きていくのが正解だと判断したのではないかということ。
もう一つは、ジャンヌにいれば必ずユニットあけMCを担当させてもらえるということ。
自分の生きる道を、MCに長けたグループの司令塔に見出そうとして、あえてジャンヌでの出演にこだわっていたのかなと思う。
的外れかも考えすぎかもしれないけど。
しかし、KIVにおけるそのポジションは、いーちゃんがKIVの司令塔としてその才を思うがままに発揮することになっていった。
もしらいらがHに昇格していたなら、物語は少し変わっていたのかもしれない。
HでMCを切り盛りするらいら、たらればではあるけれど、十分ありえる未来だったのかもと今さらながら思う。
 
アイドルが大好きならいら。
自らもアイドルになり、恵まれた環境で活動することが出来た。
選抜とかには届かなかったし、トップアイドルにはなれなかったかもしれないけれど、自分の理想とするアイドル像を追いかけることが出来た。
もっともがき苦しんで必至に上を目指す生き方もある。
ファンもそんならいらを応援していたかったと望んでいたはず。
でももう十分かなと、潮時なのかなと、笑顔で卒業することを選んだ。
それが彼女の、アイドル”伊藤来笑”の美学だったんだろう。